【大和轟沈75年 1945.04.07滅失への道】 なぜ戦艦「大和」は造られたのか〜建艦競走の激化がもたらした産物〜 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【大和轟沈75年 1945.04.07滅失への道】 なぜ戦艦「大和」は造られたのか〜建艦競走の激化がもたらした産物〜

戦艦「大和」の生涯 ~構想から終焉まで~①

■建艦競走の激化と「八八」艦隊

 1910(明治43)年日本海軍は、超弩級巡洋戦艦「金剛」に当時世界最大の14インチ(36センチ)砲を採用した。ちなみに世界各国の弩級ないし超弩級艦の主砲は、12~13.5インチ砲だったのである。

戦艦「金剛」
1913(大正2)年5月8日、スコットランド西岸クライド湾で公試中の金剛

 日本海軍はこの時以降、敵をその射程圏外から攻撃するアウトレンジの考え方(敵の火砲や航空機の航続距離など相手の射程外から一方的に攻撃を仕掛ける戦術を持つようになった。

 1911(明治44)年、日本海軍は9年前から同盟国である英国のヴィッカース社に、「金剛」の建造を製艦図面一切の譲渡と、技師・職工の技術取得を条件に大金を投じて発注した。当時の日本海軍の造船技術では、高速力を持った巡洋戦艦を建造できなかったのである。
 攻撃力と防御力が生命の軍艦は、その防御の主体である装甲鈑の製造技術と品質によってその性能が左右された。日本海軍は「金剛」を発注すると共に、横田栄吉海軍技師をヴィッカース社に監督官として送り込み、身を持って甲鈑の製造を体得させたのである。
 当時、装甲鈑はドイツのKC甲鈑と英国のVC甲鈑に代表されていた。日本海軍はVC甲鈑技術を全面的に取り入れたが、この決定は後に「大和」の超厚甲鈑を製造しなければならなくなった時に役立つことになる。

 1913(大正2)年「金剛」は完成した。
 引き続いて日本海軍は、英国からの習得技術を基に呉海軍工廠製鋼部が製造した甲鈑を用いて、「比叡」「榛名」「霧島」の同型艦3隻を国内建造した。
 米国は日清戦争以降、英国と共に日本に対して好意的だった。しかし日露戦争が終結し、ロシアの極東進出の脅威がなくなると、対日政策を一変し、中国大陸への門戸開放、機会均等を要求して、日本に対する圧力を加えるようになった。

 1911(明治44)年、日英同盟はロシアの敗北を受けて一部改訂され、もし日米間に戦争が起った場合、英国は日本に対し同盟の義務を負わないことになった。
 1916(大正5)年、米国は対日優勢3割の現状を10割に拡張しようと3カ年計画を決定した。成立した建艦計画は、戦艦10隻、巡洋戦艦6隻を含む合計81.63万トンを完成させるというものだった。

 日本海軍は3隻の巡洋戦艦を国産した後、引き続き超弩級戦艦「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」を起工、世界の注目を集めていた。

 第一次大戦中の1916年5月、英独両海軍が艦隊の全力を集中して戦ったジュットランド海戦(ユトランド沖海戦)が、世界の海軍国に大きな影響を与えることになる。
 この海戦の主役は、やはり戦艦と巡洋戦艦の巨砲の威力だった。
 日本海軍は、この海戦の戦訓からさらに主力艦中心主義を再確認することになった。そして、砲戦距離の増大によって砲塔、弾火薬庫の局部的防御の不備が致命傷になることと、ドイツ砲弾の遅延信管の優秀さを学んだ。
 日本海軍はこの教訓を、直ちに新戦艦で16インチ(40センチ)連装砲塔4基8門を装備する「長門」(起工1917年8月)、「陸奥」(起工1918年6月)に反映させた。

1921(大正10)年10月、館山沖で公試中の戦艦「陸奥」。日本海軍は「長門」型二番艦の本艦を完成させた後、ワシントン軍縮条約下の「海軍休日」に入り「大和」が登場するまで戦艦の建造は休止されることになる

 1920(大正9)年8月、第四十三帝国議会は1907(明治40)年に国防海軍所要兵力量として決定した戦艦8隻と装甲巡洋艦(のちの巡洋戦艦)8隻を整える「八八」艦隊完成整備予算を協賛した。日本海軍は、「八八」艦隊完成の目標を達成する努力に執念を燃やすことになる。改「長門」型の「土佐」や巡洋戦艦「天城」型は16インチ砲10門、13番艦以降には18インチ連装砲塔4基8門搭載を計画したのだった。

ワシントン軍縮条約の結果、1922(大正11)年、未成のまま廃艦となった「加賀」型戦艦の二番艦「土佐」。しかし本艦は実艦的として使用され、最新型戦艦の防御能力に関する貴重なデータを残してくれた

 しかし、この「八八」艦隊の整備は、国家財政の負担が過重となり、やがて行き詰まりを招くことが予測された。

 この年、海軍は13番艦用18インチ砲の事前研究として、秘匿名五年式36センチ砲(実際は48センチの巨砲)の試作、試射を完了した。これは、後の「大和」用46センチ砲製造の基礎となるものだった。

(原勝洋 編著『戦艦大和建造秘録 完全復刻改訂版』より)

 

KEYWORDS:

『戦艦大和建造秘録 【完全復刻改訂版】[資料・写真集] 』
原 勝洋 (著)

 

なぜ、「大和」は活躍できなかったのか?
なぜ、「大和」は航空戦力を前に「無用の長物」だったのか?
「大和」の魅力にとりつかれ、人生の大半を「大和」調査に費やした編著者の原 勝洋氏が新たなデータを駆使し、こうした通俗的な「常識」で戦艦「大和」をとらえる思考パターンの「罠」から解放する。

2020年、「大和」轟沈75周年
世界に誇るべき日本の最高傑作、戦艦「大和」の全貌が「設計図」から「轟沈」まで、今ここによみがえる!「米国国立公文書館Ⅱ」より入手した青焼き軍極秘文書、圧巻の350ページ。さらに1945年4月7日「沖縄特攻」戦闘時[未公開]写真収録

【大型折込付録】
大和船体被害状況図(比島沖海戦時)
大和・復元図面 ①一般配置図 ②船体線図/中央切断図/防御要領図

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